特集:「お彼岸」


「お彼岸」とは何か?

 「彼岸」とは「かなたの岸」と言う意味であるが、「かなたの岸」とは理想の世界、仏の世界のことである。我々の住む世界(此岸:この世)が迷いの世界であるのに対して、生死の海(輪廻の世界)を越えたさとりの世界をさして言う。世界を境地と言い換えても良い。理想の境地。仏の境地。 (* 詳しい説明は後程)

 いわゆる「お彼岸」の習俗は日本のみに行われて、春分秋分に祖先の霊を祭るようになった。インドでは行われていなかったし、シナでも行われていなかったらしい。在俗信者は寺院に参詣・墓参し、僧侶に読経・法話を行ってもらい仏事を行ずる。この法会を「彼岸会」というが、「彼岸に到る法会」の意味である。即ち春分秋分の前後三日の七日間を期して行う法会を言う。お盆(盂蘭盆会)と共に最も民衆化された、生活の中にとけこんだ仏教行事である。日常の生活を反省して仏道精進する、良き機縁であるとされる。本邦に於て古来行われた行事であり、その起源は古く、聖徳太子の頃とも言われている。

 古典を散見すると、 大同(上記は802年)以来既に広く行われていたのである。


   「彼岸会」の縁起

 春分秋分の二季に於いて特に仏事をなし、これを「彼岸会」と称することは、恐らく『観無量寿経(観経)』日想観の説に基づくものである。

   例えば、善導(唐代中国浄土教の大成者)は『観経疏』の定善義に日想観を釈し
春分秋分には、太陽が真東より出て真西に没するから、その日没の処を観じて即ち阿弥陀仏の国(極楽・安楽国)の所在を知り、以って欣慕の心を起すべきことを説いたものである。

   又、阿弥陀仏の浄土を観ずることを彼岸会と名付けたことは、
同じく『観経疏』の散善義に二河白道の譬喩に基き、西岸は即ち彼岸であるから、これを波羅蜜多の義(*以下に概説)に寄せて称すようになったのである。

   阿部清明の作と伝わる**内傳第三二季彼岸事には
春分秋分の前後七日間は昼夜平分にして、日は正しく東方薬師の眉間の白毫を離れて西方阿弥陀の八葉の蓮台に傾くものとする説で、西方浄土を彼岸と名付けたものであるという。

    原文参照

 古来大阪四天王寺等に於て、彼岸会に落日を拝す風習が行われたことも、この法会は『観経』日想観の説に起原を置くべきものであろう。


   「彼岸」:「パーラミター(波羅蜜多)」とは

 「彼岸」は原語(サンスクリット語)では「パーラミター(波羅蜜多)」の訳で、正しくは「到彼岸」である。即ち生死輪廻の此岸を離れて涅槃常楽の彼岸に到達するという意味であり、前述の通りである。原語「パーラミター」は「(到)彼岸」と意訳されるが、同時に「波羅蜜(多)」とも音訳される。後者は「般若波羅蜜」等、特に一般的に有名で人気のあるお経『般若心経』で馴染みが深いかもしれない。先述の「・・・金剛般若経を読ましむ」『日本後紀』の記述のように、お彼岸には『般若経』系の教え「波羅蜜」の実践を説く。春・秋両彼岸にはそれぞれ七日間をあてるが、中日(春分・秋分の日)の前後三日の六日間に「波羅蜜」を実践するという。

それでは具体的に「波羅蜜」とは何なのか?

 この「パーラミター」という言葉は、前述の「到彼岸」と訳す他に、「完全性」「完成」と日本語訳することができる。仏の世界に到達すれば(往生)、輪廻の世界を漂うのとは比較にならない程圧倒的に速く「成仏」するのであるから、同義ととっても間違いではない。しかし『般若経』系経典群ではほとんど「到彼岸」の意味では使われない。「完全性」「完成」とは即ち仏そのものの性質を表現した言葉なのである。

 そしてこの「パーラミター」は6種に分類される(「六波羅蜜」)のが本義である。このことから、前三日はいよいよ仏の世界(状態)に近づくのであり、後三日は新たな日々の生活が始まる。この良き時に六波羅蜜の実践を割り当てる。このこと自体はかなりこじつけの感があるが、先人の知恵と解釈すべきで、大いに益のあることに違いはない。


   「六波羅蜜」とは

 仏そのものの性質を表現した言葉である、と言ったが、六波羅蜜は成仏をめざす「菩薩」たちの修行徳目である。最終目標は6番目の徳目「般若波羅蜜」の獲得である。それ即ち成仏と同義である。

ここでその六種を示すと以下の通り。  六徳目概説

   1、布施 ふせ

   2、持戒 じかい

   3、忍辱 にんにく

   4、精進 しょうじん

   5、禅定 ぜんじょう

   6、智慧 ちえ

 これら6種は順次完成されていく徳目であるが、同時にどれ一つ欠けても達成されない。「波羅蜜」を「完成」(=成仏)と訳したが、「完成」するのは順次であり、同時でもある。

 以上を整理してみよう。

最終目標の「成仏」は「般若波羅蜜」「到彼岸」である。出発点・基礎は「布施」であり、仏の「智慧」を作り上げ完成に導く実践行が「禅定」であり不可欠のもの。この世(此岸)での人生の歩みこそが、過去と未来とを繋ぐ道であるから「持戒・忍辱・精進」というたゆまない積極的な生き方が「完成」への燃料となるのである。実は、これら6種は渾然一体のものであるから「般若波羅蜜」「般若」で代表される。

 一般的に「般若」というと「空」「色即是空・空即是色」で表現され、理屈が先行している感がある。しかし「仏教は行動の宗教」といわれるように、生活そのものなのである。だから完全無欠の生活が一番に求められるのではなく、たゆまない生活の中に、利点・欠点に気付き積極的に練磨する心掛けが「彼岸」へと繋がる生活だと言えましょう。






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