仏像の基礎知識


如来像

 「如来」とは「真理()の世界からた人」のことで,「ほとけ」と同じ意味です。「ほとけ」は,古代インドの言葉であるサンスクリット語の「ブッダ」という音を中国で「仏陀」という漢字に写し,これが省略されて「(ぶつ,ほとけ)」という言葉になりました。ちなみにブッダとは「悟りを開いた人」という意味です。

「ほとけ」とは?
 なぜ「仏」を「ほとけ」というかについてはよくわかっていません。古代朝鮮語などに起源を求める説やもともと仏教語ではなかったとする説(柳田国男『先祖の話』)など,いろいろな説があります。そのなかでも一般的に説明されているのは,次の説です。中国では「ブッダ」を「浮図」「浮屠」と音訳し,ブッダ,仏教(仏教徒)を意味していました。この浮図などは「ふと」と発音されていたようで,ここからブッダ(や仏教・仏教徒など)のことを「ほとけ」というようになったという説です。

如来像の特徴
 仏像の見分け方のところでも説明しましたが,如来像全体の特徴を簡単に復習しておきましょう。
 如来像は悟りを開いた釈迦の姿を基本にしています。衣服は,全身を覆う一枚の布(衲衣<のうえ>,大衣<だいえ>)を着ているだけで(下半身になどをつけているものもあります),装飾品は身につけていません。
 髪の毛は,螺髪(らほつ)と呼ばれるブツブツの髪で表現され,また頭の中央部が盛り上がっています(頂髻相<ちょうけいそう>,肉髻<にっけい>)。
 そのほかの身体的特徴として眉間にある白毫(びゃくごう)や印相があり,また持物をなにも持っていないこと(薬師如来を除く)も如来像の特徴の一つといえるでしょう。

手に注目!
 如来像は似ている姿が多く,どの如来かを見分けるには少し知識が必要です。見分けるポイントは,なんといっても手の形(印相<いんぞう>,印契<いんげい>)でしょう。この印相に如来を見分ける特徴がもっともよく現われています。印相は非常に重要で,仏像を区別する(しるし)なわけですが,それだけではなく手の形で多くのことを表わしているのです。クラシック・バレエなどの踊り(舞踊)のように,指の形・手の位置などそれぞれに特定の意味があって,さまざまなことを表現しています。印相については,各々の如来像のところを参照してください。


釈迦如来

 釈迦如来は,なんといっても仏像の基本形です。如来像のみならず,すべての仏像の元といってもいいでしょう。だいたいの形は,仏像の見分け方如来像のところで説明したとおりです。
 さて,如来像を見分けるには,手の形(印相<いんぞう>)を覚えなければなりません。そこで釈迦如来に特徴的な印を少し詳しく見ていくことにしましょう。

釈迦如来の印相
 まず,右手を上げ,手を開いて指を伸ばし掌を見せる形を施無畏印(せむいいん)といいます。この形は,畏(おそ)れることのない状態・力を人々に与えることを示す印です。
 この施無畏印とセットになることが多いのが,与願印(よがんいん,施与印・施願印)です。この印は,手の形は施無畏印とほぼ同じですが,普通は左手の印で,下に垂らしています(坐像の場合は掌を上に向け,膝の上に置いています)。人々のさまざまな願いをかなえる(ことを誓う)印です。この施無畏・与願印が釈迦如来の一般的な印相といっていいでしょう。
施無畏・与願印 禅定印
説法印 触地印
 わたしたちが坐禅をするときに結ぶ印が,禅定印(ぜんじょういん)=法界定印(ほっかいじょういん)です。両手の指を伸ばし,腹の前で掌を上に向けて左手を下に右手を上に重ね合わせ,両手の親指を触れ合わせた形をしています。この印は,瞑想状態(あるいは最高の悟り)を表現しています。
 釈迦が説法をするときの印が,説法印転法輪印<てんぼうりんいん>)です。両手を胸の前に上げています。いくつかの形があり,また非常に複雑で,言葉ではうまく表現できないので,図を見てください。
 そのほかには,甲を向けて地面を触るように右手(左手もある)を膝の上に置いて下に垂らした(地面に指先が触れている)形が触地印(そくじいん,降魔印<ごうまいん>)です(坐像のみ)。(反対側の手は,腹の前で拳を握っていたりします。) この印は,悪魔(自分の心のなかの煩悩)に打ち勝つ形で,釈迦が悟りを開いたときに取っていたポーズです。
 以上が釈迦如来の代表的な印相です。このようなポーズの如来像を見たら,それはだいたい釈迦如来と考えていいでしょう。他の如来でも上記の印を結んでいる像もありますが,数は少ないので安心です。

釈迦三尊像
 釈迦如来像は,単独の像のほかに,脇に二体の菩薩像を従えた三尊形式で表現されることもあります。脇に従う菩薩(脇侍<わきじ>)は,本尊中尊<ちゅうそん>)である釈迦如来の手伝いをしています。
 釈迦に従う脇侍は,普通文殊(もんじゅ)菩薩と普賢(ふげん)菩薩です。釈迦の左側,向かって右に位置するのが文殊菩薩で,獅子に乗った姿で表現されます。釈迦の右側,向かって左に位置しているのが普賢菩薩で,白象(びゃくぞう,白い象のこと)に乗った姿が一般的です。
 このように釈迦像を中心として,文殊・普賢両菩薩を脇侍にすえた形式を,とくに釈迦三尊像といいます。

誕生仏
 伝説によると,釈迦は母親の右脇腹から生まれるとすぐにスタスタと七歩あゆみ,天地を指して「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と宣言したとされています。このときの釈迦を像に現わしたのが,誕生仏です。
 普通は上半身裸で,右手を上げて天を指し,左手で地を指した姿をしています(すべての指を伸ばしている像と人指し指だけ伸ばしている像があります)。この誕生仏は,四月八日の釈迦の誕生日(花祭り)に本尊として祭られ,甘茶をかけられる像として有名です。

涅槃像
 釈迦如来に特有の像として,涅槃像(ねはんぞう,釈迦涅槃像)があります。これは釈迦が亡くなったときの姿で,頭を北に向け,右脇を下に横たわった姿で表現されます。涅槃像は,東南アジア諸国ではかなり多く見られるのですが,日本にはあまりありません。その代わり涅槃図という仏画がたくさん作られ,目にすることができます。

苦行像
 そのほかには,これもまた釈迦特有の像ですが,釈迦苦行像・苦行釈迦と呼ばれる像があります。出家後,6年間苦行生活を送っていたときの像です。目は落ちくぼみ,ガリガリにやせながらも瞑想修行している鬼気迫る姿で,柔和な穏やかな姿をしている普通の釈迦如来像とは違った感動を与えてくれます。


薬師如来

 薬師如来は,はるか東にあるほとけの世界仏国土<ぶっこくど>),東方浄瑠璃世界のほとけで,薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)ともいいます。
 この如来は,悟りを開いて如来になる前に,あらゆる病気や障害を除きたい,という誓願を立てました。ですから,人々の病気・障害を治してくれるほとけなのです。ちなみに薬師は,「医者の王」という意味です。

壷を持ってます
 如来像のなかでも,薬師如来だけが例外的に持物を持っています。人々の病気や障害を治すために薬の入った壷(薬壷<やっこ>)を持っているのです。普通は左手に持っていて,右手は施無畏印の像が一般的です。また法界定印で,掌の上に薬壷を乗せている像もあります(坐像のみ)。ですから手に薬壷を持っていたら,その仏像は薬師如来像と考えていいでしょう。

七仏薬師
 光背に6〜7体の如来像が配されることがありますが,この像をとくに七仏薬師(しちぶつやくし)といいます。薬師如来を見るときには光背にまで気を配ると,より一層面白いかもしれません。

薬師三尊
 薬師如来にも,三尊形式があり,日光菩薩月光(がっこう)菩薩が脇侍としてつき従っています。(通常,日光菩薩が如来の左側=向かって右側に,月光菩薩が右側=向かって左側に位置しています。) この形式の薬師如来像を薬師三尊像といいます。

家来を従えて
 また十二体の武装した像を従えていることもあります。これらの像は,薬師如来の家来あるいは分身であり,如来を助け,薬師如来を信仰してくれる人を守護する夜叉(やしゃ)で,十二神将(じゅうにしんしょう)と呼ばれます。


阿弥陀如来

 「ナムアミダブツ」「極楽」でおなじみの阿弥陀如来です。
 「ナム」は「南無」と書いて「帰依します」,「ブツ」はもちろん「仏」で,「ほとけ・如来」のことです。残りは「アミダ」ですが,これは原語(サンスクリット語)のアミターユスアミターバの音を写したもので,「無量寿」「無量光」と音漢訳し,それぞれ「無量の寿命」「無限の光」を意味しています。両方の意味を含めて「アミター」「アミダ」となりました。
 「ナムアミダブツ」という言葉を,日頃,聞くことのある人も多いと思いますが,実は「阿弥陀如来に帰依します」という意味だったのです。

極楽にいる阿弥陀如来
 ある程度の年齢になると,温泉とかに入って,つい「あ〜っ,ごくらく,ごくらく」と口にしてしまうこともありますが,この極楽に住んでいるのが,阿弥陀如来なのです。
 極楽は,たくさんある浄土(ほとけや菩薩の住むらかな国仏土<ぶつど>や仏国土<ぶっこくど>ともいいます)の一つで,西のはるか彼方(西方十万億土<さいほうじゅうまんおくど>)にあるといわれています。「往生」のことを専門的に「超生浄土」といいますが,「西方十万億(十兆)の仏の浄土を超えて,はるか極楽浄土に生をうける」という意味です。とても無理っぽい話ですが,このお方は大変太っ腹で,お念仏「ナムアミダブツ」と申すだけで,臨終には観音・勢至菩薩をはじめ多くの連れを引き連れて迎えにきてくれます。日本では極楽信仰が盛んで,いつからか浄土といえば極楽を意味するようになりました。

阿弥陀如来の特徴
 阿弥陀如来の姿は,他の如来,とくに如来像の基本形となる釈迦如来とほとんど同じで,衣服や髪などでは区別がつきません。阿弥陀如来にしかない特徴は意外と少ないのです。しかし手の形には,もっともよく特徴が出ています。
 そこで前にも述べたように,如来像を見分ける簡単な方法,に注目してみましょう。

コラム2
 続エッ!? 仏像と地名って…

 東急大井町線の「自由が丘」の次に「九品仏(くほんぶつ)」という駅があります。この駅名も,見てわかるとおり仏教に関係しているのです。
 駅の近くにある浄真寺(じょうしんじ)に九品仏が祀られていることから名づけられたとされています。

阿弥陀如来に特有の印
 まず注目してもらいたいのが,指でを作っていることです。ほとんどすべての阿弥陀像の両手の指が輪になっています。ですから阿弥陀如来を見分けるには,まず輪を作っているかどうかを確認してください。
 両手の指で輪を作っているといっても,実は九種類もあるのです。これは,信仰心や行為の善悪の違いによって,極楽への往生(おうじょう)の仕方が九種類(九品)あるためです。つまり阿弥陀如来が結んでいる印は,極楽へ迎える方法の違いを示しているのです。このような九種類の印をまとめて九品印(くほんいん)といい,それぞれの印を結んだ九体の阿弥陀像を九品仏といいます。

九品印の覚え方
 九種類の印があるといっても,それぞれの印を覚える必要はありません。一定の決まりがあるので,それさえ覚えてしまえばいいわけです。
 まず印は,(ほん,ぼん)と(しょう)という二つのグループに大きく分けられます。それぞれが「上・中・下」に分けられていて,それらが組み合わされて九種類になるのです(つまり,3×3=9です)。

 それでは,から説明しましょう。どの指で輪を作っているかがポイントです。
 上品(じょうぼん)は,手がどの位置にあっても,人指し指親指で輪を作っています。
 中品(ちゅうぼん)は,手がどの位置にあっても,中指親指で輪を作っています。
 下品(げぼん)は,手がどの位置にあっても,薬指親指で輪を作っています。

 次にについて説明します。手の位置がポイントです。
 上生(じょうしょう)は,どの指で輪を作っているかに関係なく,お腹の前で手を組んでいます。
 中生(ちゅうしょう)は,どの指で輪を作っているかに関係なく,胸の前に両手を上げ,掌を見せています。
 下生(げしょう)は,どの指で輪を作っているかに関係なく,右手を上げ左手を下に垂らしています(どちらも掌を見せています)。

 あとは,以下のようにそれぞれを組み合わせればいいわけです。

品  系

 
 
上品中品下品



上品上生

中品上生

下品上生



上品中生

中品中生

下品中生



上品下生

中品下生

下品下生

 このうち,とくに上品上生印弥陀定印(みだじょういん,禅定印)と,上品下生印来迎印(らいごういん,らいこういん)といいます。

実際の阿弥陀如来像
 このように阿弥陀如来には,九種類の印があるわけですが,わたしたちが普通よく目にする阿弥陀如来像は,禅定印来迎印の像がほとんどです。坐像の場合は,禅定印・来迎印の両方の像があるのですが,立像の場合は,来迎印のみなのです。ですから九種類の印があっても禅定印と来迎印さえ覚えておけば,阿弥陀如来を簡単に見分けることができるのです。

そのほかの特徴
 阿弥陀如来像のもっとも大きな特徴は印にありますが,そのほかの特徴に光背があります。あまり特徴のない普通の光背を持つ像もけっこうあるのですが,船の形をした光背や線を円形(放射状に)に並べた光背(放射光背)を持つ像が多いようです。
 放射光背の線の数は一般に48本で,阿弥陀如来の四十八願(しじゅうはちがん)を表現しています。余談ですが,実はこの光背が「アミダクジ」の元になっているのです。クジの線が阿弥陀如来の光背に似ているため,阿弥陀籤という名前になったといわれています。
 ちなみに浄土真宗では,放射光背の阿弥陀如来(立像)のみを本尊とし,浄土宗では,舟形光背などの光背を持つ阿弥陀如来(坐像・立像)を本尊としていることが多いようです。

阿弥陀三尊
 釈迦や薬師如来と同様に,阿弥陀如来にも三尊形式があります。阿弥陀三尊の場合,如来の左側(向かって右側)には観音菩薩が,如来の右側(向かって左側)には勢至(せいし)菩薩が控えています。

来迎とは?
 極楽に生まれたいと願う人の臨終のときに,如来や菩薩などがえにてくれることを来迎(らいごう,らいこう)といいます。来迎といえば阿弥陀如来で,阿弥陀だけのものや観音・勢至菩薩などをともなったものなど,たくさんの来迎図が作られました。代表的なものに,聖衆来迎図(しょうじゅらいこうず)や早来迎図(はやらいこうず),山越阿弥陀図(やまごえのあみだず)などがあります。このように来迎を題材にしたものをとくに来迎美術といいます。彫刻のものは少なく,ほとんどが図画として作られました。
 臨終を迎える時には,この来迎図を床の側に掛け,阿弥陀如来の手に善の綱を付け,それを手に持って念仏を続け臨終を迎えるという習俗が往古より行われていました。


大日如来

 如来は,普通出家した僧の姿をしていますが,密教のほとけである大日如来だけは違います。仏像の見分け方特別な如来像)のところでも説明したように,大日如来はほとけの王と考えられているためです。またこの世で仏教の理想を実現するために,あえて普通の人の姿で表現されているともいわれます。
 大日如来は,菩薩像のように,冠やブレスレットなどさまざまな装飾品を身につけています。諸仏の王ですからインドの王様の姿をモデルにしているのです。

大日如来と菩薩の違い
 如来像のなかでは,特別な姿をしているので簡単に見分けることができますが,菩薩像との区別がつきにくいかもしれません。でも安心してください。菩薩像にない特徴があるのです。
 如来像を見分けるには手()に注目するのがいちばんです。この原則は大日如来でも変わりません。菩薩像はたいてい印を結んでいませんが,大日如来は特徴のある印を結んでいます。ですから装飾品を身につけてはいるが,手になにも持たず,印を結んでいる像を見たら,それはまず大日如来と考えていいでしょう。

二人の如来と印
 大日如来は,実は二種類あるのです。大日如来の真理面を象徴する胎蔵界(たいぞうかい)の如来と,智慧(ちえ)を象徴する金剛界(こんごうかい)の如来です。ただし如来が二人いるというわけではなく,便宜上二種に分けて表現されているのです。
智拳印
 どちらの如来かを見分ける方法は簡単です。結んでいる印が違っているのです。
 胎蔵界の大日如来は,最高の悟りを表わす法界定印(ほっかいじょういん)を結び,金剛界の如来は,智慧を表わす智拳印(ちけんいん)を結んでいるのです。
 智拳印は図のとおりです(法界定印については,釈迦如来を見てください)。


毘盧舎那如来(毘盧遮那如来)

 「“ビルシャナ”なんて聞いたことがない」という人も多いと思いますが,実はこの毘盧舎那如来が,日本でいちばん有名な仏像かもしれないのです。たぶん,だれもが一度は見たり,聞いたりしたことがあるだろうほとけなのです。
 「奈良の大仏」で親しまれている東大寺の大仏が毘盧舎那如来だったのです(普通は省略した形の「盧舎那仏」と呼ばれています)。
 毘盧舎那の原語はヴァイローチャナ(Vairocana)で,もともとは太陽のことを意味する言葉でした。日本,とくに密教では「光明遍照(こうみょうへんじょう)」と訳されたりしていて,無限に広がるほとけの智慧を象徴しています。ちなみにこの毘盧舎(遮)那仏は,密教では,大日如来のことです。
 このほとけは,蓮華蔵世界(れんげぞうせかい)という,いわばこの宇宙全体のほとけで,千の釈迦を出現させ,説法させているといいます。その模様が,大仏が坐っている台座の蓮弁に線で彫られているのです。また光背には,たくさんの化仏(けぶつ)が配されています。
 ちなみに奈良の大仏は,施無畏・与願印(せむい・よがんいん)を結んでいます(施無畏・与願印については,釈迦如来のところを見てください)。


 如来には,ほかに宝生如来(ほうしょうにょらい)などの如来がいますが(おもに密教の如来),省略します。ごめんなさい