七宝山 観音寺 神恵院 について



神 恵 院
略縁起

  当山は、七宝山観音寺神恵院(しっぽうざんかんおんじじんねいん)と称し、奈良時代、大宝三年(703)に法相宗の日証上人によって開かれました。
縁起によれば、大宝年間に九州の宇佐八幡神が弾琴の船にて海辺に現われ、神船秘琴を山頂に引上げ御社、本地堂を建立し神宮寺宝光院と称したと伝えられます
 大同年間に、弘法大師が第七世の住職として入山し、七堂伽藍を建立し、中金堂に聖観世音菩薩を彫り安置され、また、琴弾八幡の本地仏・阿弥陀如来像を画かれ安置し、寺号を観音寺と改めました。
七種類の珍宝を埋めて、地鎮をしたことから山号を七宝山と号し、また、第十世の聖宝・理源大師の時に院号を改め神恵院と改めました。
明治初年の神仏分離により六十八番琴弾八幡宮の本地仏を境内西金堂に還座してより、四国八十八ヶ所唯一のー寺二札所の霊場となる


教義

真言宗は真言陀羅尼の法門により、行為と言葉と精神とを清く正しくする三密の修行によって、この身このまま仏の徳を成就し、現世を密厳浄土として、清潔な明るい社会をつくり、現実のこの人生を晴れ晴れとした幸福なものにすることを目的とする教えであります。
夫れ仏法はるかに非ず。心中にして即ら近し・・「心経秘鍵」



釈迦涅槃像[しゃかねんぞう](重要文化財)

お釈迦さまの臨終横臥の姿です。釈迦四相図(誕生、降魔成道、初転法論、涅槃)の中で仏涅槃図は多く知られているが、彫刻されたものは日本では数少なく珍しい。 稔材寄木白木造り、全長74センチ、顔面部のみ板目、他は柾目となるようつぎ合せ、柔和優麗な御面相から藤原時代とされる。 沙羅双樹の下で、頭を北に向け右脇を下にし、両足を徹え重ねて身をよこたえ、寂然と して大涅槃に入られた釈迦入滅の劇的なー瞬を、可憐とも思える小さな像に功みに表出している。


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