浄土宗の教え


浄土宗 教義 概説

 浄土宗は、阿弥陀仏の本願(四十八願)中、特に十八番目の願(王本願)念仏往生願によって、阿弥陀仏の浄土(清らかな仏の世界)「極楽、安楽国」に、お念仏「ナムアミダブツ」によって往生することを目的とする。

 このお念仏は(修行の一形態ではあるが、他の宗派の教義では自らの修行の成果によってより善い世界に生じ究極は成仏することを目指すのとは異なり、)他力すなわち阿弥陀仏のお力を頂いて往生するのであるから、奢ることなく阿弥陀仏の救いをひたすら信じ声に出してお念仏する(口称念仏)のである。念仏者は生涯を通じて「必ず往生できる」という安心感(安心の念仏)をこの世での最大の目標とするのである。

 大乗仏教の中、各宗派共通の教義は慈悲の行であるが、「慈悲」とは他者と自身と差別せず、「慈」とは友愛「悲」とは相手の気持ちになりきることである。つまり慈悲とは、己を捨てて他のためにひたすら奉仕する生涯を送ることが基本で、その究極に成仏があるのだ。しかしこれではこの身では成仏は絶望的であろう。そこで、この身で成仏できずとも阿弥陀仏の本願力を頂いて後生に往生を期し、菩薩と成ってその仲間入りを果たすのである。つまり浄土教では、成仏への経過よりもその実を示唆するのである。

 浄土宗宗祖法然上人は非常に現実的かつ実践可能な方法を世に広めたのであり、「(この世のこの身では)諸行をさしおきて、念仏を先と為す」とのスローガンを打ち立てられたのである。いずれにしても仏教である以上、無慈悲な者が成仏・往生できるはずはない。しかし「悪人正機(善人は当然であるが、悪人こそ阿弥陀仏によって救われる機会がある)」と仰せられたのは、誰一人罪なき者はなく、生きとし生ける者は全て他の尊い命を食べて存命しており、生かされているのであるから、前非を悔い改めお念仏に全てを掛けるのは、自らを悪人・凡夫と自覚する者こそが最も念仏往生の教えに相応しく近いのであり、自らを立派である・完全無欠・正しいと思い込んでいる者、仕方がないではないかと自省しない者には最も遠く門は閉ざされているのである。
 つまり善人であれ悪人であれ、仏様にとっては何等区別はない。念仏門の宗派が特に「念仏」を勧めているが、「念仏」に宗派は関係ない。もしお念仏の声が聞こえたら、あなたも声に出してお念仏してみて下さい。

 最後に、法然上人が「くせになるように念仏しなさい」と仰せられたように、自然に口についてお念仏が出てくるようになればしめたもの。極楽往生まちがいなし。この世で毎日をすがすがしく送れるようになるでしょう。皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

 阿弥陀親様の限りない御恵みがありますように  南無阿弥陀仏