本 堂 (昭和35年10月23日再建)
本尊……千手観世音菩薩。
賜嵯峨天皇念持仏(平安時代作)、脇仏として地蔵菩薩・毘沙門天王2体安置。
新西国三十三所霊地第二番札所、おおさか十三仏霊場第八番札所。
詠歌に
    あひがたき  のりのよしきを  えたるみは
       くるしきうみに  などかしづまむ


大師堂  
本尊……弘法大師。光背に日輪を背負われている(江戸時代初期作)。
摂津国八十八ヶ所霊場第六番札所。
詠歌に
    はるばると  たづねてきたのの  たいゆうじ
       はなのうてなに  むらさきのくも


不動堂  
本尊……不動明王(石仏。昭和29年5月28日再刻)。
脇仏……矜迦羅・制迦童子(石仏。同寺に再刻)。
戦前の不動明王は、不動堂東側お滝の洞窟内(奥之院)に安置。一願不動尊と称し、一願成就の利益があり、昔より霊助にあずかった実例は枚挙に暇がない。
近畿三十六不動尊霊場第六番札所。毎年5月28日紫燈大護摩を執行する。
詠歌に
    ひとずじの  たきのひびきも  みこえにて
       いちがんふどう  ここにまします


護摩堂
毎月8日、18日(午後2時、4時)、28日(午前10時、午後2時、4時)護摩秘法を執行する。
本尊……不動明王。矜迦羅・制迦の二童子を安置する。


宝 塔(昭和61年10月建立)
大日如来を安置する。
三層は経蔵で奉納された写経を納めている。


淀の方墓
元和元年5月、大阪城落城によって秀頼と共に自刃して果てた淀殿の遺骨は、大阪城外鵙?野?、弁天島に一祠を作って埋められた。これが淀姫神社である。明治10年11月、城東練兵場(現大阪城公園)造成に当り移祀されることとなり、豊臣に縁の深い当寺に埋め九輪の塔(現在戦災に依り六輪)を建て境内西北隅に祀った。


芭蕉の句碑
    しら菊の  目に立て見る  塵もなし    翁

碑背の銘に「天保14年(1843年)為百五十回忌追福、比良?林?社中建之」とある。この句は、松尾芭蕉翁が元禄7年(1694年)9月29日、大阪の女流門弟の斯波園?女(しばその?め)の招きをうけ、園女亭(北浜)で歌?を巻いた時の作で、貞節な招待主を白菊に託してよんだ句である。


鐘 楼
鐘楼は、昭和48年の再建。梵鐘は、延宝3年の鋳造。江戸中期の高僧浄厳和上の撰文がある。
歩兵第216連隊(椿部隊)の慰霊碑、水子地蔵尊ぼけ封じ観音白竜社(巳さん)、源融公旧跡等の記念碑がある。


近代日本政党政治発祥の地
明治11年板垣退助をはじめ、全国の有志が大阪に集り民権運動を起こし、全国的規模にまで展開した。この運動は愛国社(後の自由党)となり、明治13年3月17日第4回愛国社大会、明治17年10月29日自由党解党大会が当寺で開かれた。第4回大会で国会期成同盟会が結成され、河野広中が会長となり国会開設請願書を作成、会長名で明治天皇に奉呈したのである。明治14年10月2日国会開設約定の詔勅が出され、遂に明治23年11月25日国会が開かれた。当寺は、近代日本政党政治発祥の地である。



淀の方(永禄10〜元和元年<1567〜1615年>)
豊臣秀吉の側室。浅井長政の長女。母は織田信長の妹お市の方。浅井氏の滅後、秀吉に養われ、天正17年淀城に入る。淀殿淀の方と呼ばれた。淀君は後の俗称。秀頼を生み、秀吉没後は大坂城に拠り豊臣方の中心人物となる。大坂夏の陣に敗戦、秀頼と共に自刃した。
法名を大淀院英岩と寺伝にいう。
明治10年城東鵙?野より当寺に改葬された。

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